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東京地方裁判所 昭和62年(合わ)102号 判決

主文

被告人を懲役三年六月に処する。

未決勾留日数のうち一八〇日を右刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六二年五月当時、変圧器製造の会社に勤め、東京都北区豊島《番地省略》所在の甲野マンション二〇四号室の被告人方において一人暮らしをしていた者である。

ところで、被告人は、同月一八日夕方、勤務先からの帰途行き付けのスナックに立ち寄ってビールやウイスキーを飲み、翌一九日午前一時過ぎころ、右被告人方に帰って来たが、三年位前から女性用下着を自ら着用することに興味を覚えていたことから、色色な手段を講じて一〇〇点近く収集していた各種の女性用下着をいつものように篳笥の中から取り出して、その後一時間ばかりこれを身に付けたりするうち、なおもこれらと異なった女性用下着を手に入れたいという思いが湧いて来て、女性の住むマンションのベランダなどに干してある洗濯物の中から適当なものを盗み取ろうと考え、自転車に乗って同日午前二時二〇分過ぎころ、右被告人方を立ち出て、かねてから様子を窺い知っていた同区神谷《番地省略》所在の乙山ハイツ(鉄筋コンクリート三階建のアパート)前に赴いた。そして、被告人は、同日午前二時三五分ころ、右乙山ハイツ一階東端の一〇五号室A方の南側ベランダ内に至り、干してある洗濯物は見当たらなかったものの、同ベランダ北西隅に置かれていた電気洗濯機の中に右A方に住む女性の下着等が入っているのではないかと思えたことから、同ベランダにおいて、右洗濯機に被せられていたビニールカバーとともに右洗濯機の蓋を手で持ち上げ、女性用下着窃取の目的でその中を物色しようとしたが、手が滑って蓋が落ち音を立ててしまったことから、家人に気付かれたのではないかと考えて、直ちに右ベランダの外へ逃げ出し、衣類等窃取の目的を遂げるに至らず、その直後ころ、右乙山ハイツの建物北側横の通路(コンクリートたたき)上において、被告人に気付いて右一〇五号室北側玄関から外に飛び出して来たA(昭和一七年八月二〇日生)に、手で胸倉を掴まれるなどして取り押さえられそうになったため、逮捕を免れる目的で、同人に対し、その左示指に噛み付いたり手拳でその顔面を殴打したりし、更に同人と取り組み合いながら、靴履きのまま同人の両大腿部を足蹴りし、その右足先を踏み付けるなどの暴行を加え、その際、右暴行により同人に対し加療に約一〇日間を要する左示指咬傷、両前腕左肘部打撲擦過傷、右file_2.jpg趾爪部打撲血腫の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(証拠説明)

一  弁護人は、①被告人が判示A方ベランダ内に入ったり、右ベランダ内の洗濯機に手を触れたりした事実はなく、未だ窃盗の実行の着手には至っておらず、②仮に、右のような事実があったとしても、被告人の暴行は、逃れるための動作に終始したものであって、右Aの逮捕行為を抑圧するに足りる程度に達しておらず、③また、右Aの傷害は、軽微であって、日常生活に支障を来すようなものではなく、強盗致傷罪にいう傷害に該当しないので、いずれにせよ本件について強盗致傷罪は成立しない旨主張している。

二  まず、前掲「証拠の標目」に挙示した各証拠によれば、本件犯行当時の判示乙山ハイツの建物や周辺の状況、判示乙山ハイツ一〇五号室A方及びその周囲の状況等について、次のような客観的事実が明らかである。すなわち、

1  右乙山ハイツは、約一九二・五平方メートルの敷地に建てられた南北約一二・七五メートル、東西約一一・八メートルの鉄筋コンクリート造り三階建のアパートであり、一階は東西に約三メートルごとに四室に区切られ、北側が外廊下及び各戸の玄関、南側が各戸のベランダ、西側が階段になっていたこと

2  右乙山ハイツは、周囲をブロック塀に囲まれており、ブロック塀を隔てて南側に接する駐車場の西側の路地を北進した先に右乙山ハイツの入口があったこと

3  右乙山ハイツ西側階段と西側ブロック塀との距離は、約一・三五メートルであったこと

4  右乙山ハイツの外廊下にはスレート板が取り付けられ、その外側がコンクリートたたきの通路(以下「北側横通路」という。)になっているところ、右スレート板から北側ブロック塀までの距離は、約一・二ないし一・四メートルであったこと

5  右乙山ハイツと東側ブロック塀との距離は、北端で約〇・四五メートル、南端で約〇・八メートルであったこと

6  右乙山ハイツ南側ベランダと南側ブロック塀との距離は、東端で約〇・七メートルあり、右乙山ハイツ西側には通り抜けができなかったこと

7  右乙山ハイツ南側のブロック塀は、地上高約一・四八メートルで、その上部には高さ〇・二メートルの有刺鉄線が張ってあったこと

8  右乙山ハイツと東側ブロック塀との間の露地には、右乙山ハイツ北端から約二・六メートルの位置に木箱一個及び重ねられたポリバケツ二個が置いてあったこと

9  右A方は、右乙山ハイツ一階東端の一〇五号室であったこと

10  右一〇五号室南側には、南北約〇・七二メートル、東西約二・六メートルの長方形のベランダがあり、右ベランダ西側には隣室との境に防火スレートが設けられ、右ベランダ南側には右防火スレートから東方へ約一・〇五メートルまでの部分に地上高約一・二二メートルのコンクリート製仕切り、その東側に地上高約一・一三メートルの鉄枠及びスレートの仕切りが設けられ、右ベランダ東側には地上高約一・二二メートルのコンクリート製仕切りが設けられていたこと

11  右ベランダ内の北西隅に、高さ約〇・八メートル、幅約〇・六五メートル、奥行き約〇・四メートルの電気洗濯機が南側に向けて置かれており、右洗濯機の南端から右ベランダ南側のコンクリート製仕切りの南端までの距離は、約〇・四四メートルであったこと

12  右洗濯機の中にはタオルが二枚ほど入っており、右洗濯機には上下に別れるビニールカバーが被せてあったこと

13  右ベランダの北側は、前記防火スレートから東方に約一・〇五メートルの部分がコンクリート壁になっており、その東側が室内に通じる出入口になっていたこと

14  右出入口は、全体が高さ約二・二一メートル、幅約一・七二メートルのアルミサッシ枠でできており、その上部が高窓、下部が出入りのための二枚引き戸方式のガラス戸になっており、高窓部分及び引き戸部分にはいずれもいわゆるラス入りの透明ガラスが入れられていたこと

15  右高窓上部直近の木枠部分に二重カーテンレールが取り付けてあり、ベランダ側にはレース地の白色カーテンが、室内側にはやや厚手のいわゆる柄もののカーテン(遮光性のものではない。)がそれぞれ吊り下げられていたこと

16  右一〇五号室は、南から六畳間、四畳半の間、台所があり、北端が玄関となっていたこと

などの事実が客観的に明白である。

三  また、前掲各証拠によれば、本件犯行当時の被告人及びAの行動等について、次のような事実が認められる。すなわち、

1  被告人は、昭和六二年五月一九日午前二時半ころ、前記乙山ハイツ東側露地を通って、右A方ベランダ前に赴いたこと

2  その後まもなく、右Aが、下半身パジャマ姿のままサンダル履きで同人方玄関から外に出て、北側外廊下をいったん西端まで走り、次いで北側横通路を東に向かって走り、右乙山ハイツの北東角付近で、前記東側露地から出て来た被告人と出会い、被告人を捕まえようとしてその付近で被告人と揉み合いになったこと

3  ほどなく右Aが被告人を取り押さえ、同人の妻B子に呼ばれて駆け付けた隣人の者らとともに被告人を現行犯人として逮捕し、司法警察員に引き渡したこと

4  右Aは、被告人を取り押さえる際に、左示指咬傷、両前腕左肘部打撲擦過傷、右file_3.jpg趾爪部打撲血腫の傷害を負い、向後約一〇日間の加療を要する旨の医師の診断を受けたこと

5  また、右Aは、右4記載の傷害のほかにも左大腿部に青あざが残る状態であり、また、右4記載の傷害のうち、左示指咬傷は一か月間左示指を動かせないというもの、右file_4.jpg趾爪部打撲血腫もその後普段の靴が履けず、同人の仕事である自動車の運転にも支障が生じるものであったこと

6  被告人は、衣服の下にスリップ等の女性用下着を着用していたこと

7  本件当時の判示被告人方居室には、女性用下着類九五点が置いてあったことなどの事実も肯認できる。

四  ところで、右B子は、右A方ベランダ付近に何者かがいることに気が付いた状況に関し、証人B子の当公判廷における供述中で、「本件当時、六畳間で寝床に入っていたが、眠らないでいたところ、東側露地に置いてあったポリバケツの蓋が踏み割れるような音がし、次いでベランダの方に人が歩いて来る足音が聞こえた。自分は、上半身を起こし、かがむようにして、ベランダ側ガラス戸に掛けられたカーテンの方を見ると、そのカーテンにベランダ南側の仕切りを何者かが乗り越える感じの人影が映り、更にベランダ内で東から西にその人影が動くのが見えた。その人影が洗濯機のある方向に寄った際、洗濯機の脱水槽の蓋がちょっと持ち上げられたけれども、完全に上がらぬまま下に落ちたと思われるようなかちゃっという音が聞こえた。そこで、傍らに寝ていた夫に対し『泥棒が入っているから』と言って夫を起こし、起き上がった夫とともに、カーテンに映る人影を見ていると、その人影が東に動き、何か物が倒れるようながたんという音がした後、その人影がベランダ南側の仕切りを乗り越えて外に出るような感じに映った。夫は、その後すぐに玄関から外に出て行き、自分も続いて出て行くと、乙山ハイツ北東角付近で夫と被告人が揉み合っているのを見た。また、本件から二日位経った後、いつもベランダ内に置いてあるポリバケツ等に立てかけてある箒が倒れているのを発見した」旨供述している(以下「B子証言」という。)。また、右Aは、その際の状況に関し、証人Aの当公判廷における供述中で、「本件当時、寝床についてうつらうつらしていると、傍らに寝ていた妻から『また来ているみたいだ』などという声で起こされ、起き上がり中腰になって、ベランダ側のガラス戸に掛けられたカーテンを見ると、そのカーテンに、ベランダ南側の仕切りを乗り越えて外に出るかのような人物の腰から上の部分の影が映ったので、急いで、下半身パジャマ姿のままサンダル履きで外に出て、乙山ハイツ北東角付近においてその人物のやって来るのを待ち受け、まもなく東側露地からその場へ出て来た男を取り押さえようとして揉み合った」旨供述している(以下「A証言」という。)。

これに対し、被告人は、当公判廷における供述中で、「乙山ハイツにはこれまで五回位行ったことがあり、これまで洗濯物を干してあったなど、その様子を知っていたことから、また行ってみようという気持になった。当日、乙山ハイツ南側の道路から駐車場を隔ててブロック塀ごしに乙山ハイツを見ると、一階東側から二番目の部屋のベランダに洗濯物が干してあるのが見えたので、乙山ハイツの西側出入口から敷地内に入り、北側横の通路を通って東側露地に入り、南進するとポリバケツが置いてあったので、それを乗り越えようとしたところ、これを踏み付けてばりっという音を立てたものの、かまわず先に進み、その露地を出て右に回り、一番東側のベランダの前に出た。そこで、そのベランダの鉄製仕切りの前を通ろうとした時、室内のガラス戸の向こうでカーテン越しに人の動くのが見えたので、家人に見付かったと思い、すぐさま西に移動して、コンクリート製仕切りの陰に身を隠し、直ちにもと来た方向に引き返したが、乙山ハイツ北東角付近で、男の人に出会い、相手に衿首を掴まれたため、相手と揉み合いになった」旨供述している。

五  また、B子証言及びA証言と被告人の当公判廷における供述とを対比して検討するにあたり、右各供述の信用性を裏付ける事情に関し、前掲各証拠によれば、次のような事実を認めることができる。すなわち、

1  本件当時、前記二の15記載のレース地のカーテン及び厚手の柄もののカーテンは、いずれも閉じられた状態にあり、右A方室内の照明はすべて消されていたこと

2  本件当時、右乙山ハイツの南側には、約二一メートル及び約三一メートル離れた場所に商店街の水銀灯各一本があり、右A方室内においては、右1記載のように二枚のカーテンをいずれも閉じた状態においても、右カーテン二枚を透して右各水銀灯の光が差し込み、右閉じた厚手のカーテン近くの室内の照度は約〇・〇三ルクスであったこと

3  もっとも、右水銀灯等の光は、前記二の7記載のブロック塀に遮られて、右厚手のカーテンには床上から約九八・五センチメートルの位置に水平に右ブロック塀の上辺の影を映していたこと

4  被告人の身長は、約一七〇センチメートルであること

5  夜間、右1記載のように右A方のカーテン二枚を閉じ、室内の照明を消した状況下において、右A方ベランダと右ブロック塀との間の露地に身長約一七〇センチメートルの人物を立たせたときは、右A方の室内から見て、右厚手のカーテンに映る右ブロック塀の上辺の影の上方に、上下約三二・五センチメートルにわたる影、すなわちその人物の肩から上の部分の影が映ること

6  右5記載と同じ状況下において、右5記載の人物に右ベランダの仕切りを乗り越えてベランダ内に入らせ、ベランダ内を東から西に動くなどさせたときは、右5と同じく、右厚手のカーテンに映る右ブロック塀の上辺の影の上方に右人物の胸付近から上部の影(直立したときは、上下約四五センチトーメル)が映り、右A方室内に居る者としてはほぼその人物の位置、上体の状況等が視認可能であること

7  一方、右1記載のように右A方のカーテン二枚を閉じ室内の照明を消した状況下において、右A方ベランダ南側の露地に立つ者は、右A方室内の状況を全く視認できないこと(なお、右厚手のカーテンを開き、前記レース地のカーテンのみを閉じた状態においても、室内の照明を消しているときは、カーテン近くで人物の動きがあった場合に限って、室内で何か人らしいものが動いたと認識できるにとどまること)などの事実が認められる。

六  そして、右五認定のように右A方室内に居る者は夜間右カーテン二枚を閉じ室内の照明を消した状況にあるときは右厚手のカーテンに映る人影から右A方南側ベランダ内又は同ベランダ近くに居る人間の動きを視認できることが客観的に肯認できることに照らし、B子証言及びA証言は右客観的状況と矛盾するものではなく、むしろこれによって裏付けられているということができる。とりわけ、右各証言において人影の動きとして述べる部分は、検察官らが昭和六二年一二月一日に実況見分を行った際実験的にモデルとなった者に右各証言に基づき一定の動作を行わせた結果右厚手のカーテンに映った人影の状況と符合し、その意味で実際にそのような人影を見た者でなければ供述できない内容のものであると認めることができる。

加えて、B子証言は、東側露地に置いてあったポリバケツの蓋が踏み割れるような音がしたことで、誰か人がやって来たことに気付いたと述べている点、ベランダ内で人影が洗濯機の方へ近寄った際、脱水槽の蓋が持ち上げられたけれども、完全に上がらぬまま下に落ちたと思われるようなかちゃっという音がしたと述べている点などにおいても、前記二認定のような右乙山ハイツ東側の露地の状況、前記電気洗濯機の置かれていた状況などと符合していることが認められ、こうした点からもその信用性が裏付けられているということができる。また、A証言についても、前記三の2認定のように同人が下半身パジャマ姿のまま北側玄関から戸外へ出て、右乙山ハイツの北東角付近において被告人のやって来るのを待ち受け、実際に間もなく東側露地からその場へ出て来た被告人を取り押さえようとして揉み合ったこと自体、同人らが室内からカーテン越しに被告人の姿を見たことを裏付けているものというべく、同様に信用性が高いということができる。なお、弁護人は、A証言は、同人が被告人を待ち受ける態勢をとるまでの時間的経過と、被告人が東側露地を通って右Aの待ち受ける場所に至るまでの所要時間とが符合せず、その意味で時間的に矛盾がある旨主張するが、右乙山ハイツ東側の露地が前記二の5及び8認定のとおり極めて狭隘であり、かつ、ポリバケツや木箱という障害物の存在することに照らし、被告人が右露地を走り抜けることにはある程度の時間を要したことが窺われ、したがって、右Aがカーテンに映る人影を確認したのち北側玄関から戸外に出て、右乙山ハイツ北側外廊下をいったん西端まで走り、折り返し北側横通路を東に向かって走り、右乙山ハイツ北東角付近で被告人を待ち受ける態勢をとるに至るまで一定の時間を要することを考慮しても、この点時間的に矛盾があるということはできず、A証言の信用性に疑いを生じさせるものではない。

更に、B子証言及びA証言いずれも、それ自体として内容的に自然の流れに沿ったものと認められるうえ、前掲「証拠の標目」挙示の各証拠によれば、右B子及びAは本件を除けば被告人と全く見ず知らずの他人の仲であり、従前から被告人に対し怨恨の念を抱いていたという事情も全く存しないことが明らかであるから、同人らが被告人にことさら不利益になるような供述をしたなどと疑う余地もなく、結局、右各証言の信用性は十分にこれを肯定することができる。

七  一方、被告人の当公判廷における供述は、「ガラス戸の向こうでカーテン越しに人の動くのが見えたので、家人に見付かったと思った」旨述べる点において、その際右A方南側ベランダ前からは室内の様子を視認することができない客観的状況にあったという前記五の7認定の事実と矛盾し、右の点がその際の被告人の行動に関し基本的な前提として述べる点であることに照らし、被告人の当公判廷における供述中その際の被告人の行動に関し述べる部分はすべて信用できないというべきである。

加えて、被告人は、捜査段階においても、右A方南側ベランダ付近に至った際の被告人の行動に関し供述を変転させており、当公判廷においては更に自己に有利なように供述を変えていることが認められ、このように供述を変遷させていること自体、被告人の供述は、捜査段階におけるものか当公判廷におけるものかを問わず、B子証言及びA証言と相反する部分において、その信用性がないことを示しているというべきである。

なお、被告人は、捜査段階において、右ベランダ南側の仕切りを乗り越えてベランダ内に立ち入った点については供述を変遷させているものの、右ベランダ内に置かれた洗濯機の蓋を手で持ち上げた事実については一貫して認める供述をしており、その供述の任意性に疑いを差し挟むような事情があったことは窺えない。

八  以上から結局、右二及び三認定の各事実と、B子証言及びA証言並びに被告人の捜査段階の供述とを総合すると、判示認定のとおり、被告人が本件当時、右A方ベランダ内において、ベランダ北西隅に置かれた電気洗濯機に近付き、その蓋を右洗濯機に被せられていたビニールカバーとともに持ち上げかけたが、手が滑って右蓋が落ち音を立てるに至った事実は、合理的な疑いを越えてこれを肯認することができるのである。

また、被告人が本件現場に赴いたのは女性用下着を窃取する目的であったことは、被告人も捜査段階から一貫して自認するところであり、前記三の6及び7認定の各事実によっても裏付けられている。そして、右のようなその際の被告人の意図と判示認定の本件犯行の具体的態様を合わせ考えれば、被告人が右のように右電気洗濯機の蓋を持ち上げようとしたのは、その中に右A方に住む女性の下着等が入っているのではないかと思えたことから、女性用下着窃取の目的で右洗濯機の中を物色するためであったことも明らかであり、右のような行為がいわゆる物色行為として窃盗の実行の着手にあたることはいうまでもなく、結局、被告人は、本件において刑法二三八条にいわゆる窃盗犯人であることが肯認できるのである。

九  次に、被告人が右Aに対して加えた暴行の態様についてみるに、同人が本件において被告人を取り押さえようとした際前記三の4及び5認定のとおり加療に約一〇日間を要する傷害を負った事実は客観的に明白であり、右傷害の部位、程度等と証人A、同C及び同Dの当公判廷における各供述とを合わせ考えれば、被告人は、右乙山ハイツの北東角付近で右Aと出会い、北側横通路上において、右Aに手で胸倉を掴まれるなどして取り押さえられそうになるや、逃走しようとして、北側横通路と外廊下の間にあるスレート板を蹴破るなどして暴れるとともに、同人の左示指に噛み付いたり手拳でその顔面を殴打したりし、更には同人と取り組み合いながら靴履きのまま同人の両大腿部を足蹴りし、その右足先を踏み付けるなどの暴行を加えた事実が十分に認定できる。

なお、被告人の供述中には、暴行を加えた状況について記憶がないと述べる部分もあるが、被告人の右のような供述によっても、被告人が同人に対し判示のような暴行を加えた事実を認定するにあたり疑念を差し挟む余地はない。また、被告人が同人に対し加えた判示のような暴行が、その態様、程度更にはその結果同人に負わせた傷害の部位、程度に照らし、同人のように窃盗犯人を発見し取り押さえようとした者をして逮捕を遂行する意思を抑圧するに足りる暴行であることも明白である。

更に、右Aの負った傷害は、その部位、程度等において前記三の4及び5認定のとおりであり、全体として加療に約一〇日間を要するものであったほか、とりわけ右file_5.jpg趾爪部打撲血腫においてはしばらくの間普段の靴を履くことができない状態をももたらすに至っており、同人の生理的機能はもとより生活機能にも著しい障害を与えていることが明らかであって、同人の負った傷害が強盗致傷罪に定める傷害に当たることはいうまでもない。

一〇  以上の次第で、前掲「証拠の標目」挙示の各証拠を総合すれば、判示事実はその照明が十分であり、判示認定に合理的な疑いを差し挟む余地はなく、被告人の判示所為が強盗致傷罪に該当することも明らかである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二四〇条前段に該当するところ、所定刑中有期懲役刑を選択し、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち一八〇日を右刑に算入することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が深夜、他人のアパートのベランダ内において洗濯機の中から女性用下着を盗もうとした際、家人に発見されて取り押さえられそうになったため、逮捕を免れる目的でこれに抵抗して家人に傷を負わせたというものであるところ、家人に乱暴した点自体は偶発的であるものの、被告人には一般にはフェティシズムと呼ばれるような異常な性向がみられ、そのため深夜にアパートやマンションのベランダ等に干してある洗濯物の中から女性用下着を盗むということを繰り返して、習癖化していたことも窺え、結局、本件のように暴力を揮うにまで至ったことを考えれば、犯情は悪質というほかない。加えて、取り押さえられようとしたのに抵抗したものとはいえ、右家人に対し加えた暴行もかなり激しくかつ執拗であって、同人の負った傷害も、左示指がしばらく腫れて動かず、右file_6.jpg趾も爪が剥がれて、右被害者の仕事である自動車の運転にも支障が生じるようなかなり重いものであり、その意味でも被告人の刑責は重いといわざるをえない。

しかし一方、本件において窃盗の点は未遂にとどまり、いまだ室内に立ち入るなどはしていないこと、被告人の雇主において、被害者に対し金三〇万円を支払い、被害感情も和らいでいること、被告人には前科前歴がなく、定職を持ち長期間真面目に稼働して来たこと、被告人は本件を反省し、被告人の雇主において被告人の社会復帰後の雇用と指導監督を誓っていることなど被告人に有利にしん酌すべき事情も相当見出せる。

そこで、これら被告人に有利不利な一切の事情を総合考慮し、前示のとおり刑の量定をした次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本時夫 裁判官 服部悟 松谷佳樹)

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